誰が為に世界は

つい一ヶ月程前、混み合う駅での事。
ホームへの階段は混雑しており、駅員が拡声器を用いてちょいうるさいなーと思える大きさで
「追い抜きは危険です。ゆっくり下ってください」と言っていた。
最初はそれが気になったのだが、それはいいのだ。
自分の前に女性がいて、その前には男A、その前に高齢者の男性がそれこそゆっくり
階段を下っていた。足も悪いのかもわからない。
後ろの人間は詰まって遅くなっているが、電車は未だ到着していない。

その時。男Aはいきなり横の鉄製の壁を「ドカーンドカーン」と叩き、それを二度も繰り返した。

おい。

自分の眼の前にはAの頭が届く位置にあり
「ボカ」っと拳固したくなった。

そんな事で老人が速く下りるか。
ついでに。

ジャポニカ学習帳の表紙に昆虫の写真を全く使わなくなった、とか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141127-00010002-withnews-soci

メーカーは苦渋の決断、とある。
一言では言えない様々な事情が伴ってそうしたのだろうけど
顔だったものをなくすのはあまりに寂しい。
無論、植物の表紙も扱っているのでそれも悪くないのだが。
だが教師がクレームするって何。生物の授業に昆虫の存在は要らないのか。

商品だし企業である事、それに世の流れは必要不可欠なものではある。

気持ち悪いかどうかは個人の勝手。誰でも苦手なものはあるし
見たくない触れたくないものを強制する必要は無い。

なら買うなヨ と。

使わざるを得ないならカバーでもしてやれば見えないし
少し考えればこんなことでクレームするかな。
自分だけ良ければいい大人の多さにどうにも嫌気がさす。
なんでこんなクレームにいちいち大切にしてきたものまで
無くさなければならない世の中かな。
商品なんて今はネットでも見れば消費者がピンポイントで好きなものを選択できる。
他人には価値ゼロでも好きな人には値がつけられない程価値のあるものもある。
なのにまるで自分の杓子定規に当てはまらなければ全てそれが悪
みたいな。

クレームつける人含め
好きな人もカメラマンも 何より昆虫たちもかわいそうでは。
色んなものが、どうなんだろと思ってしまう。

デパートの喫煙所で3歳位の男の子を煙たい中で平気で一緒に入れ
その子に入り口の自動ドアの開閉で好きに遊ばせ、出入りする人の邪魔をしていても
何も感じずにタバコを吸っている親。
あーもしもし。何か感じませんか。

いや、ちょっと待て。
確かにこれらのうち二つは道徳としての問題だが
自分も含め、皆が自分の都合で頭に血が上り、ストレスを感じている。
当然、ここに記載するもので全てではない。

そんな事、あんな事、震災や災害で被害を受けた人
その他、志半ばで生きられなかった人の家族の前で言っていられるのか。

見れば目の前のカブトムシも残りの命を自分に預け
必死に生きようとしている。で、幼虫はその横でうにょうにょ。(なんだかな)
単に我慢するでなく、そんな事を日常とできる事への感謝が先か、と

ふと思う。