パンプキン風情を過ぎたカブトオトナ

寒いのに室内は暑いみたいな微妙な季節は過ぎ
パンプキン風情だった季節も終わり
街には少しずつイルミネーションが現れる。

illumi

イベント的なものをいつも横目で見ているタイプではあってもそれなりに楽しんでいたが心の底から楽しむことは今年はないのだろうなとふと思う。

で、カブトムシはまだ生きている。
そんなこと自分以外は面白くなかろうとそれはそれとして
ただ生きているのではなく、成虫となって地上に出てから4ヶ月過ぎて
「威嚇」の出来る、フセツの欠けないカブトムシは初めてだからだ。kabuto_a

あ?(を)説明しよう。

足は、腿節(たいせつ)、頸節(けいせつ)、ふ節という部分があり
主に太いトゲトゲのある太もも的部分とひざ下のような細い部分、
先端にはカギ爪が付いている。
そのひざ下みたいな部分がフセツだ。「跗節」(この漢字がテキスト上に出ない人も)
と書いたり「符節」と書いたりふ節となったりしているがそれはあまり興味無い。

ほとんどが元気なうちにふ節の一つが真っ先に取れ
死期を迎える頃には3匹に1匹は1、2本なくなっている位だと思う。
(わかりにくいな)
昆虫の場合は人間とは違い、治癒する能力がない為
とくにカブトムシはひと夏を過ごせる程度の強度しかないのだと思われる。
それでもとくに気にしている様子はなく、なんだか普通に過ごしている感じ。
前回書いたように神経も伝達しなくなると思われるので痛覚もないのだろう。
しかし木登りや動きにはやはりある程度支障が出てくる。引っ掛ける爪もないからだ。
それでも元気ならゴリゴリと木を削らんばかりにふ節のない足で木を登る、なんとも憎めない
愛すべき昆虫なのである。

で、威嚇だが
前足を広げて半身起き上がり気味に構えるのが、まあここで言う、威嚇。
カブトムシも人の気配に慣れるのか、そんな気も失せるのか、元気がなくなると
徐々に「あ?邪魔スンナ。」「誰だテメエ。」が薄れていき、威嚇しなくなる。

それが あ?のポースだ。kabuto_a(しつこい)

それが今年は事情が違う。
計6匹いたカブトムシはオスは全員生きており、メス2匹はすでに他界。
購入したメス3匹のうち2匹も他界。
うちオス3匹が現在も威嚇し、他界した4匹含め全員ふ節が欠けていない。

ああこれは軽いペット自慢だな。ちょいやな感じか。

過去と違う点を挙げるとすれば、登り木を皆斜めにしている事と
交尾後には即完全個室としている事か。アレはエネルギー使うしね。

しかしオスの一匹は、もうそろそろと予感させる動きである。
この時はやはり寂しい。1年毎に何度も同じ感情を味わい
そしてまた繰り返す。幸せだっただろうか、と。
自分は独りよがりにそれを心でつぶやき、土に還す。

私たち人間は、自分と他の人間、他の生物と触れ合い、理解し
与え与えられて生きている。
自分ではない対象のものや環境や生き甲斐などを考えずにはいられない。
大人になり成熟し、最もそれに対して成熟していないければいけない時期に
未熟な大人が多すぎるというやつだ。
子供が半分おもちゃや教材としてカブトムシやクワガタを採ったり買ったり
命に触れるが、大人になってのカブトムシ飼育はそれとは違う哀愁と喜び
発見の多いものである。

とはいえ裏返してお腹側から見ちゃダメだけど。

そして幼虫が数匹
もう土の中で蠢いている。ささやかな喜びに感謝を。